2012年2月10日金曜日

경희궁 [慶熙宮] Vol.1

안녕!! (^0^)/





突然ですが皆さん!!
韓国の古宮といえばどこが一番に思い浮かびますか??

景福宮…??昌徳宮…??宗廟…??

これらも勿論世界遺産に登録されていたり国宝が多かったりと
文化財的にとても価値がある韓国を代表する古宮ですが
景福宮の近くに離宮として建てられた古宮があるのを知っていますか??

今回は古宮を制覇したいなら是非行って欲しいスポット
경희궁[慶煕宮]をレポートします☆



慶煕宮が建っている場所には、元々李朝の太祖である李成桂の家があったとされます
これは後々まで王族の私邸として利用されてきましたが
時の王・光海君がこの一帯に王気(王が生まれる兆し)があるという噂を聞き
それを無くすために1616年にこの地を奪って、翌1617年に宮廷の建築を開始しました
この時の名称は경덕궁[慶徳宮]といいます

光海王が追放された後は、名称も変わりました
元の「경덕궁(慶徳宮)」という名前だったのですが
朝鮮第16代王・仁祖の父である定遠君のおくり名「경덕(敬徳)」と発音が同じという理由で
朝鮮第21代王・英祖の時代に現在の「경희궁(慶熙宮)」に改称されました

離宮として建てられたこの建物は
東の離宮である昌徳宮がであるのに対し、西の離宮と言うことで西とも呼ばれます

その後約280年もの間、第25代王・哲宗の時代まで離宮として使用されましたが
1829年の火災や、日本の植民地時代の破壊・売却・移築等により
古宮としての原型を失ってしまいました

その後、長い時を経て、1980年代に入ってようやく本格的な復元工事が始まり
晴れて2002年から一般公開されるようになりました



さて!!長い説明はここまでにしておいて!!
それでは実際に慶熙宮を探検してみましょう♪





【흥화문/興化門 

慶熙宮の正門
ソウル特別市有形文化財第19号に指定されています

本来は慶熙宮の100m東に位置する救世軍会館の場所にありましたが
日本の植民時代である1932年に、伊藤博文を祀っている박문사[博文寺]に移されました
独立後は寺の跡地に新羅ホテルが建てられ、その正門として形を残していましたが
1988年に始まった復元工事の時に現在の場所に移転しました

この場所に降り立ってからまだ20年ちょっとしか経ってないんですね
正に数奇な運命を辿ってここへやってきたという訳です



【미술관/美術館】

慶熙宮美術館なるものがありました
残念ながらこの日は休館…というかやっていないのかな??



【승정전/崇政殿

正門の興化門をくぐると、慶煕宮の正殿の門が顔を現します
こちらは승정문[崇政門]です

門へと続く階段は二段構えとなっています

真ん中の石段には鳳凰が2羽飛んでいる姿が描かれています

そしてこちらが正殿である승정전[崇政殿]です
ここは王の即位式、国王と臣下の挨拶の儀式、宮中での宴会、施設の接待等
王室の公式行事を行っていた場所です

この正殿は李朝第15代王・光海君の頃(1618年)に建てられ
日本統治時代の1926年、曹洞宗の総本山である曹渓寺に売却されました

その後、この正殿は正覚院という法堂として使用されましたが
建物の老朽化が激しいために移築が困難と判断され
1985年に開始された発掘調査を経て、6年後に現在の姿に復元されました

様々な古宮で見られる文官・武官達の位を現す石像

中はこれまた様々な古宮で見られる日月五峰の玉座

天井には王の証として2匹の龍がついています





☆Vol.2に続く☆