2012年1月10日火曜日

경주&부산여행 ~포석정~ [慶州&釜山旅行 ~鮑石亭~]

오릉[五陵]の後は、道沿いに真っ直ぐ行ったところにある
新羅王室のかつての離宮である포석정[鮑石亭]に行って来ました♪





五陵から道沿いとは言ったものの
看板を見たところ約1.5kmありました…
はい、また歩くの決定!!\(^0^)/

先程五陵の記事でも紹介した朴赫居世出生の地である나정[蘿井]

朴赫居世を君主とした六部村長の位牌をまつる祀堂として建設された양산재[楊山斉]

寄って行きたい気持ちはあるんですが
時間が心配なので写真だけ…(;ω;)/



歩くこと約20分、通り過ぎて行くバスを(`・ω・)こんな表情で見過ごしながら
やっと到着しましたよ!!

こちらが入口
チケット売り場は左手側にありますよ

先程、鮑石亭は離宮として建てられたと紹介しましたが
現在は豪華な建築物も消え去り、自然といくつかの遺跡が残るのみとなっています

ちなみにこちらは史跡第1号に指定されています

入口から少し歩くと
鮑石亭の象徴するアワビ型の溝に辿りつきました

正確な造成時期については分かっていませんが
新羅第49代国王헌강[憲康]の頃の記録には
南山の神様が王の前で舞を踊り、王も一緒に踊って"御舞山神舞"という新羅の踊りができた
と、残されていることから
9世紀後半頃に建設されていただろうと考えられています


この水溝は王侯貴族たちの詩吟遊び、"流觴曲水"の際に使われていたもの
浮かべた杯が自分の前を通り過ぎるまでに詩を詠じるという何とも趣ある遊びです
中国が発祥で、日本でも主に平安時代に行われていました
※昌徳宮後園の記事でも同じようなものを紹介しています

長さは6mで、使われている石は花崗岩です
裏山から引いた水が亀の石像を経て注ぎ込まれていたそうですが
その石像も失われ、植民地時代の補修工事の関係で水溝自体も原型とは異なるそうです

新羅の華やかな王族文化の象徴ともいえる鮑石亭ですが
滅亡のきっかけとなった場所でもあります

新羅第55代国王경애왕[景哀]がここで宴会を開いている時に
後の百済の王である견훤[甄萱]の襲撃受けて逃亡、結局自害するに至りました

경순[敬順]が跡を継いだものの、935年に高麗に帰順したことで
新羅千年の歴史がここに幕を下ろした、というわけなんです

新羅が滅びてからは高麗の時代が始まりましたが
ここ鮑石亭は正に新羅時代の栄光と終焉を表す地であることが分かります



隣接する지마웡릉[祗摩王陵](史跡第221号指定)等と合わせて
新羅時代の栄光の地に足を踏み入れてみて下さい(^-^)



…☆…観光情報…☆…

<포석정/鮑石亭>

慶尚北道 慶州市 拝洞 454
경상북도 경주시 배동 454

…*…観覧料…*…
大人 500₩
青少年・軍人 300₩
子供 200₩

…*…アクセス…*…
慶州駅から 500、501、503〜508番バス 포석정[鮑石亭]下車