鮑石亭を出た後はバスで慶州駅まで戻ってきて
ゲストハウスのパソコンで次の観光地への交通手段を調べて
近くの食堂で昼飯食べて
元気をチャージしてからまた出発!!
夕方には釜山へ出発しなければならないので
サクサク廻って行きましょう(^0^)
【무열왕릉&서악동고분군/武烈王陵&西岳洞古墳群】
まず慶州駅からバスでやってきたのは、一列に行儀よく並んだ整列古墳を見られる
무열왕릉&서악동고분군[武烈王陵&西岳洞古墳群]です
入口を通ってまず見られるのが
こちらの대종무열왕릉비[大宗武烈王陵碑]です
こちらの亀趺は国宝第25号に指定されています
碑石は長さ333㎝、幅254㎝、高さ86㎝で
力強く前向きな亀の姿が新羅人の精神を表しています
亀の足をよーく見ると…前足が5本なのに対し、後足が4本なのが分かりますか?
亀は勢いよく歩くときには後ろ足の親指を隠す習性があるのですが
これはその亀の習性を忠実に再現したものとして美術的価値も高く評価されています
高さ110cmの碑首には6匹の龍が絡み合っている絵が描かれており
ここに"大宗武烈大王之碑"という文字が刻まれていたので
この古墳も碑も武烈王のものであることが判明しました
※この文字の秘密ついては、下の"金仁問・金陽墓"の記事で明らかに!!
このように埋葬された特定されるのは非常に稀で
歴史研究においてはとても価値がある、貴重なものだと言えるでしょう
王陵碑を抜けて更にまっすぐ行くと、武烈王の陵墓が現れます
こちらは史跡第20号に指定されています
武烈王の本名は김춘추[金春秋]といい
外交手腕を振るって高句麗、日本、唐等の国との外交を通して
当時外敵からの脅威で危機に陥っていた新羅を救った、そんなヒーロー的存在の彼ですが
後に金庚信将軍の後押しによって、第29代目の王に就任しました
元々王族ではないため、新羅王朝初の両親が王族でない王ということになります
規模は円周114m、高さ8.7mと比較的大きな方で
陵墓の下は自然の意思で築き上げられており、大きな石で支えられた部分もあるのですが
現在は土の中に埋まっている状態です
武烈王の陵墓を過ぎて更に奥に進んでいくと
4つの陵墓が連なる서악동고분군[西岳洞古墳群]が見えてきました
真正面から見ると、一番前のひとつしか見えません(^0^;)
斜めから見てやっと4つ全てが見られました!!
こちらはいつ・誰が葬られたのか、その詳細は分かっていないのですが
武烈王の陵墓より後方にあることから、彼の祖先である可能性が高いとのことです
【김임문・김양묘/金仁問・金陽墓】
武烈王陵のすぐ向かい側には
駐車場の隣に位置する小規模の古墳が2つ連なっています
文武王の2番目の息子김임문[金仁問]、武烈王の9代孫김양[金陽]の古墳です
2つの古墳の内、小さい方は金陽のものです
彼は統一新羅と唐の間での外交(和平交渉)に力を入れ、大きく貢献した人物です
こちらの大きい方は金仁門の陵墓で、兄は新羅第30代문무[文武]です
外交官、書家として非常に優秀かつ有名な人物だったそうで
向かいの武烈王陵碑に刻まれた文字は彼の直筆なんだとか…
二つの古墳の隣には、西岳洞亀趺が建っています
亀趺は碑そのものは無くなっていて、台座の部分だけが残っています
造りは武烈王陵碑と似ているのですが違いは足の指の数!!
写真をよーく見てみて下さい、前足も後足も5本あるのが見えるでしょうか?
これが先ほど紹介した亀の躍動性という点において美術的価値が下がるので
こちらは国宝ではなく、宝物第70号に指定されています
造られた年代も形もほとんど同じなのに
この微妙な違いが文化・美術的価値に影響が及ぶというのは面白いですね
…☆…観光情報…☆…
<무열왕릉/武烈王陵>
慶尚北道 慶州市 西岳洞 842
경상북도 경주시 서악동 842
…*…観覧料…*…
大人 500₩
青少年・軍人 300₩
子供 200₩
※観覧料がかかるのは武烈王陵のみです
…*…アクセス…*…
慶州駅から 60番、61番、301-1番バス 무열왕릉[武烈王陵]下車
※進行方向右側が武烈王領・西岳洞古墳群、左側が金仁問・金陽墓です