皇龍寺の跡地を後にして、次にやってきたのは
貴重な文化財が多く残る분황사[芬皇寺]です!!
こちらは正門ではありません(笑
皇龍寺跡から歩いてきて正面にあったのですが
門も隣に見えるチケット売り場もまるでフェイクのように建っています(-∀-)
こちらが正門です
분황사[芬皇寺]は634年、新羅第27代国王善徳女王の時代に建てられ
当時の有名な僧侶達が立ち寄った場所としても有名です
入ってすぐ右手側には鐘閣と木彫りの魚が置かれています
魚がとても良い表情をしていると思います(・∀・)
【석탑/石塔】
すぐに目に入るのがこの巨大な三層の石塔です
国宝代30号に指定されている、新羅時代に最初に作られた石塔です
(国宝第30号)
元々は7層か9層ほどあったのではないかと推測されていますが
慶長・文禄の役の際にほとんど破壊されてしまったそうです(T^T)
この石塔自体には仁王像が掘り込まれていて
四隅には獅子とオットセイの像が置かれています
仁王像と獅子&オットセイの像をアップするので
それぞれの違いを探してみてください♪
仁王像その1
仁王像その2
仁王像その3
仁王像その4
オットセイその1
オットセイその2
獅子その1
獅子その2
最初、4体とも獅子だと思っていたのですが何故2体は頭が丸っこいのか…
と、とても不思議思っていました(オットセイだということは後で知りました)
実はこれにはきちんと理由があって
獅子が北方からの敵を、オットセイが海からの敵を防ぐという願いから
このように設置されたということです!!(・0・)
【화쟁국하비부/和諍国師碑趺】
石塔の近くには和諍国師碑趺があります
(慶尚北道有形文化財第97号)
こちらは芬皇寺に滞在した新羅時代を代表する高僧、元曉を奉った碑の台座です
「和諍国師」は元曉の諡号、碑趺は碑を支える台座を意味します
1101年に高麗の第15代国王숙정[肅宗]が
この偉大な僧侶を奉る碑や諡号が無かったことを惜しんで建てたといいます
現在は台座しか残っていませんが、朝鮮後期の文人である金正喜によって
ここに「此新羅和諍国師之碑蹟」という文字が刻まれました
【석정/石井】
石塔の裏には古い八角形の井戸が置かれています
この井戸には삼룡변어정[三龍変魚井]という名前がつけられています
(慶尚北道文化財資料第9号)
伝説によると…
かつてこの池に住んでいた3匹の龍を唐から来た使者が魚に変えて持ち去ってしまいました
翌日この龍の妻だという女性2人が当時の国王の元を訪れて助けて欲しいと懇願し
王はすぐに使者を遣わして龍を奪え返したといいます
そこから上記のような名前がつけられたんですね
【보광전/普光殿】
境内の奥には薬師如来立像が安置されている보광전[普光殿]があります
新羅第35代国王경덕[景徳]の命により、755年に作られたこの薬師如来像
(慶尚北道文化財資料第319号)
(慶尚北道文化財資料第319号)
当時の名工강고내말[強固乃未]が作ったものですが
慶長・文禄の役による消失の後、朝鮮時代(1774年)に復元されました
普光殿の前の石壷?に入っていた水は氷の状態です…
慶州もやはり寒いんだなと実感させられますね(^^;)
【구황동 당간지주/九黄洞 幢竿支柱】
初め、皇龍寺跡の一部かと思っていたこちらは、境内外の畑の中にある2本の支柱です
統一新羅時代ものです高さは3.6m
支柱の間に亀を模した彫刻台座が配置されているのは珍しいものなんだとか
支柱自体は一般的な形をしており、3つの孔を穿って互いに貫通できるように造られています
いかがでしたか?
新羅時代の仏教建築というとどうしても仏国寺が一番に思い浮かびますが
분황사[芬皇寺]のように素朴だけれど面白い発見がたくさんできる所に行ってみるのも
慶州の歴史に触れられる良い機会になると思います♪
…☆…観光情報…☆…
<분황사/芬皇寺>
慶尚北道 慶州市 九黄洞
경상북도 경주시 구황동
…*…観覧料…*…
大人 1,300₩
青少年・軍人 1,000₩
子供 800₩
…*…アクセス…*…
慶州駅・バスターミナルから 10番バス
仏国寺・普門方面から 11番バス
いずれも분황사[芬皇寺]にて下車
※歩いても行けます!!頑張れば!!(・∀・)