Vol.2の続きです☆
昼食後はいよいよJSA(板門店)に向かいます
ソウルからは北に50~60km、北朝鮮の開城からはわずか10kmの場所
朝鮮戦争の休戦協定が締結された、南北分断を象徴するスポットです
東西に走る中央の軍事境界線によって南北に分かれており
1954年に国連軍及び北朝鮮軍による共同警備区域(Joint Securlity Area)に指定
北朝鮮も韓国も行政管轄権を持たない特別な場所です
南北4kmの非武装地帯の中にある軍事停戦委員会本会議場を中心として
直径800mの円形の丘陵地帯かつ共同警備地帯になっており
各軍6か所の警備所が運営、35名ずつの兵士が警備の任にあたっています
(JSAの敷地面積は約15万坪!!)
写真ではちょっと分かりにくいかもしれないですが…
この水色の建物の中央に軍事境界線が引かれている
つまり、向かい側の建物はもう北朝鮮のものなのです
直径800mの円形の丘陵地帯かつ共同警備地帯になっており
各軍6か所の警備所が運営、35名ずつの兵士が警備の任にあたっています
(JSAの敷地面積は約15万坪!!)
写真ではちょっと分かりにくいかもしれないですが…
この水色の建物の中央に軍事境界線が引かれている
つまり、向かい側の建物はもう北朝鮮のものなのです
南北朝鮮対話を実現する希望の地ともいえるでしょう
実際の現場は直接兵士同士が顔を合わせていることもあって
かなり緊張と対立を感じさせる場でもありますが
いつの日か、このような対話の場を通して
南北朝鮮の平和的交流が実現することを願うばかりです
会議場の中には韓国の憲兵が勤務中
限られた時間ですが写真撮影も可能です
実はこれ、Azuは今北朝鮮側の地に立っているんです
(バスの中でのパスポートチェックはあるものの)
スタンプも押されることなく外国に足を踏み入れているのです
あまり実感はありませんが…思い返すととてもすごい体験だったなと…
板門店でのツアー中は行動がかなり制限されています
兵士とのコミュニケーションは一切禁止
触ったり話しかけたりするのは厳禁です
彼らも基本的には写真のようにずーっと構えています
腕を少し曲げて構えているのは、銃をすぐに取り出せるようにするため
サングラスをしているのは、目で挑発したといらぬいざこざを避けるため
なんだとか…ふぅー、やっぱりピリピリした現場ですね…
この北側の入り口の前に立っている兵士の後ろより先には行ってはいけない
と説明を受けていたんですが…
写真を撮ってもらおうと横に並ぼうと思って移動したら
思いの外後ろに下がっていたらしくて、兵士さんに無言で背中をタッチされました
これにはさすがにびびりましたΣ(・ω・;)びくっ!!!!
皆さんも写真撮影の時はお気をつけて…
限られた時間ですが写真撮影も可能です
実はこれ、Azuは今北朝鮮側の地に立っているんです
(バスの中でのパスポートチェックはあるものの)
スタンプも押されることなく外国に足を踏み入れているのです
あまり実感はありませんが…思い返すととてもすごい体験だったなと…
板門店でのツアー中は行動がかなり制限されています
兵士とのコミュニケーションは一切禁止
触ったり話しかけたりするのは厳禁です
彼らも基本的には写真のようにずーっと構えています
腕を少し曲げて構えているのは、銃をすぐに取り出せるようにするため
サングラスをしているのは、目で挑発したといらぬいざこざを避けるため
なんだとか…ふぅー、やっぱりピリピリした現場ですね…
この北側の入り口の前に立っている兵士の後ろより先には行ってはいけない
と説明を受けていたんですが…
写真を撮ってもらおうと横に並ぼうと思って移動したら
思いの外後ろに下がっていたらしくて、兵士さんに無言で背中をタッチされました
これにはさすがにびびりましたΣ(・ω・;)びくっ!!!!
皆さんも写真撮影の時はお気をつけて…
これが建物(会議場)の中にある会議机
この机の真ん中に置かれているマイクが、そのまま軍事境界線の役割を果たしています
この写真でAzuはちょうど中心に立って撮影したので
右半身は北朝鮮、左半身は韓国にいる状態です
この机の真ん中に置かれているマイクが、そのまま軍事境界線の役割を果たしています
この写真でAzuはちょうど中心に立って撮影したので
右半身は北朝鮮、左半身は韓国にいる状態です
こちらは目の前の道路でバスが停車してくれた時に撮ったもの
運良く右側かつ窓側の席、しかも位置的にもど真ん中!!
最後にとても良い写真が撮れました
こちらはポプラの木事件の現場となった所
実際にポプラの木が植えられていたところです
ポプラの木事件は、판문점 도끼 살인사건[板門店斧殺人事件]とも呼ばれます
実際にポプラの木が植えられていたところです
ポプラの木事件は、판문점 도끼 살인사건[板門店斧殺人事件]とも呼ばれます
1976年8月18日、JSA内のポプラの木を剪定しようとした国連軍に対し
朝鮮人民軍が攻撃を仕掛けたという、歴史的にとても大きな事件です
この事件によってアメリカ人陸軍士官2名が命を落としました
そのうちの1名、ボニファス大尉の名前をとって
この周辺はキャンプボニファス(Camp Bonifas)と呼ばれています
この事件によってアメリカ人陸軍士官2名が命を落としました
そのうちの1名、ボニファス大尉の名前をとって
この周辺はキャンプボニファス(Camp Bonifas)と呼ばれています
映画「JSA」でも有名な帰らざる橋
韓国語では돌아올 수 없는 다리、英語ではBridge of No Return
本来の名前は川の名前を取って사천교[沙川橋]といいます
軍事境界線となっている사천강[沙川河]にかかっているこの橋は
1953年の朝鮮戦争休戦の際に、南北朝鮮軍の捕虜交換が行われた場所
捕虜たちはこの橋の上で南北朝鮮どちらに行くかを選択し
そして二度と戻って来られないことから
このような異称がつけられたとそうです
こちらもバスからの撮影のみでしたが
この橋の向こうが北朝鮮なのかと思うと、近いような遠いような…
韓国語では돌아올 수 없는 다리、英語ではBridge of No Return
本来の名前は川の名前を取って사천교[沙川橋]といいます
軍事境界線となっている사천강[沙川河]にかかっているこの橋は
1953年の朝鮮戦争休戦の際に、南北朝鮮軍の捕虜交換が行われた場所
捕虜たちはこの橋の上で南北朝鮮どちらに行くかを選択し
そして二度と戻って来られないことから
このような異称がつけられたとそうです
こちらもバスからの撮影のみでしたが
この橋の向こうが北朝鮮なのかと思うと、近いような遠いような…
JSA(板門店)に入る際に配布された名札
持ち帰りはできませんよ(^-^;)
最後はJSA内のお土産屋さんに立ち寄りました
ミリタリースタイルの服や記念品が買えます
これにてツアーは終了!!
解散場所であるロッテホテルまでの1時間はバスの中でゆったり…
ソウル市内(ロッテホテル前)に戻ってきました、現在17:00
お腹が空いたので夕食は明洞にある닭갈비[タッカルビ]のお店へ♪
案内士のお姉さんにお店を尋ねたところ
明洞にはタッカルビ専門店って1つしか無いんだとか…本当に!!??
ちょっと意外な事実を知りました(・ω・;)
案内士のお姉さんにお店を尋ねたところ
明洞にはタッカルビ専門店って1つしか無いんだとか…本当に!!??
ちょっと意外な事実を知りました(・ω・;)
シメは勿論볶음밥[チャーハン]です!!
最後は今回のツアーで一人者だった日本人同士で一枚☆
皆さん初の韓国で、わざわざこのツアーに参加したことに正直驚き!!
やっぱり女性とは観点というか目的というか…違いますね(笑
正に「旅は道連れ」ってところでしょうか?(^ω^)
…☆…観光情報…☆…
<유가네/ユガネ>
ソウル特別市 中区 明洞2街 3-1
서울특별시 중구 명동2가 3-1
今回のツアーは、補講期間の時間を使って行ってみよう!!
と、少し急な計画で参加したものですが
南北朝鮮の現場と歴史を肌で感じることができるとても貴重な経験でした
韓国人ガイドの方も本当に日本語がお上手で
あまり神経質にならないようにユーモアも含めて解説して下さったのが印象に残りました
「歴史」を目の当たりにする時
私たちはどうしてもそれを避けようとしたり、目を背けてしまいがちですが
韓国と北朝鮮は、日本の歴史においてもとても重要かつ深い関係を持つ国であり
それを無視することはできないと思うし
実際に現場を訪れることで考えられることや感じることもあると思います
もし、少しでも韓国や北朝鮮に興味があって、時間にも余裕があるならば
市内の観光やショッピングだけでなく
このような歴史の現場にも是非足を向けてみて下さい
Azuは寒くなりすぎないうちに
もう少しソウルの周りを色々訪れてみたいと思います
안녕!! (^0^)/